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2009-11-15
少年イクと山吹と、年増女官の朱女 =第四話=
刻を遡る。
右京、北。右衛門府の厨町。
右京の廃寺で、あの年増女が、二人の式鬼と出逢う、前夜のことである。
瓜清淵の妻、靜女は、眠れぬ夜を過ごしていた。
夫の清淵は不在である。といって、厨町の家は、官衙に勤める夫、清淵の物で、祖父の代からここに住んでいるというから、別に実家があるわけではない。靜女にべた惚れな清淵のこと、他の女の元へ通うことも考えがたいし、事実、過去に一度もないと断言できる。
書類作成の文官官吏と違い、毎朝同じ時間に出仕し、同じ時間に帰るというわけにいかないというのが実情で、衛門府という武官的な仕事柄、交代で割り振られた時間割りでの勤務となるのは、やむを得ないと、靜女も心得てはいる。帰るのは、おそらく明け方になるだろう。
ただ、こんな夜は、傍に付いていて欲しいと思う。傍にいて、抱いていて欲しいと思う。思いはするも、公務の邪魔をしたくもないし、また、このようなことを軽々しく打ち明けるのにも、躊躇いがある。
御霊が参りまする。
生霊が、参りまする。
それも、高貴な御方が、貴方の留守の夜、決まって、私を咒って参ります。
そのようなこと、おいそれと言えるものではない。もし言えば、あの一本気で直情的な夫のこと、思い詰めれば直談判にも行きかねない。そんなことになれば、あの気位の塊のような御方が、どのような挙にでられるか、それを考えると身震いがおさまらない。御霊どころでは、済まぬことは明らかである。
やはり、言えない。
しかし、憔悴する自分を察して、もっと気遣って欲しい。そう、思うこともある。我がまま、なのだろうか。
瓜清淵の妻、靜女は、元は後宮の内侍司に仕える命婦であった。さほどには裕福ともいえない、歴任の少ない受領の家に生まれ、半ば口減らしのように後宮に出された。
彼女の誕生と前後して、母の夫、つまり靜女の父親が、他の女に入れ上げて通わなくなった。祖父の、国守として赴任する先の国が与えられなかったことも、あったのだろう。事実上の離婚である。それでも、祖父が生きているうちはまだ良かったが、祖父が亡くなると経済的に逼迫し、生活が立ちゆかなくなる。家財を売り、土地を売り、財を切り崩すことで、辛うじて生活を保つ。
幸いしたのは、靜女自身の美貌と教養の高さ。それが噂として広まり、後宮任官への道が拓かれた。その功は、母の姉で、早くに家に見切りを付け、好いた男、金も地位もない下級官吏に添い遂げた碧女にある。靜女の母に、裕福な婿を招いて家勢を盛り返そうとするだけの気概など、そもそも、なかったのである。
靜女と瓜が出逢ったのも、その碧女の媒による。瓜の上役であった右衛門府の尉に、通いの飯炊きで仕えていたのだが、すでに都でも評判になりつつあった偉丈夫の瓜に、早いうちに正式の妻を宛がっておこうという使尉の思し召しを受けて、自分の姪を推したのだ。使尉と碧女は、その時には男女の関係にあったので、有無を言う間もなく縁談はまとまり、靜女は清淵の妻になった。
靜女は、年上の妻であった。が、年の差は五つほどである。二十も歳の離れた女に懸想されるとは、よもや瓜も、想いもしないことだろう。おそらくは、未だ、気付いてすらいない。そういう、鈍感なところのある男だった。
「眠れないのかい」
傍らで、衾を掛けて寝ていた碧女が、声を掛ける。事情を知る碧女が、気遣って一夜、泊まりに来てくれた。有り難いことと思う。
朝晩が随分と冷え込むようになったので、格子も蔀戸も何も、全て閉めきっている。灯りを灯さなければ、真っ暗で、すぐ傍で寝ているはずの碧女の姿も、ぼんやりとも見ることができない。
「ええ」
「あまり気に病みすぎても良くないよ」
「そう、ですね」
「御霊といっても、二度ばかり、ちらりと見かけただろう」
「そう、なんですけども……」
その時のことも思い出すと、今なお、背筋がぞっと凍り付き、身体の奥の芯の芯から起こる震えが、止められなくなる。
靜女は、ぎゅっと自分の身体を、力を込めて抱きしめる。この手が、清淵のものであったら……。
八日ほど前のことである。
一戸主の土地を持つ瓜の家は、厨町内では大きな方で、家屋の他に、小さな馬屋、下人小屋、菜園がある。家屋はさほど大きくない。上がり口と煮炊き場を含めた土間、床のある部屋が、廊下で二つ繋がっている。清淵の父母が生きている頃には、奥の間は、隠居部屋だった。手前の部屋に若夫婦が暮らしていた。今、奥の間は、来客用の部屋になっている。手前の部屋の方が、何かと便利なので、結局二人はそこを使っている。
その日もやはり、清淵は夜の当番で不在だった。下人たちは、すでに下人小屋に下がっている。瓜の家は、官位官職の割りには、比較的裕福であると言えたが、通いの使用人を雇えるほどではなかった。下人では、ちょっとした用に頼むにも、要領を得ない。自分で考えたり、判断したりということができないのだから、仕方がない。寂しいから、こちらに残って欲しいと言ったところで、二人共に息苦しいばかりで、少しも気が休まらないだろう。
靜女は、独り寝の寂しさから、なかなか寝付けずにいた。
奥の部屋に。物音を聞いた気がしたのは、はて、何刻頃のことであろうか。始めは聞かぬふりをしていたが、野犬などが入り込んでいるのであれば捨ててはおけぬと、様子を見に行くことにした。
みしり
床敷きの廊下の軋むのに、自分で、びくり、とする。妻戸を開け、灯台をかざして中を覗き見るも、何者の潜んでいる気配はない。ただ、半蔀が開け放されたままになっている。下人の誰かが閉め忘れたのだろう。ここから夜風が入って、蔀戸を揺らし物音を立てていた。
靜女は、ほっと胸を撫で下ろした。いかに気丈なことを言っても、野犬と対峙するなどは、ぞっとしたものではない。
半蔀を降ろそうと、部屋を横切る。見るともなく、開いた蔀戸から、外を眺める。普段と変わらぬ、大きくはないが、四季折々に作物を提供してくれる菜園が、かすかに見渡せる。時間がある時の瓜が、楽しみに手入れをしている。靜女も、下人を使いながら、世話をしていた。それなりに思い入れのある菜園である。
ふ、と何かが動いたような気がした。どこ、とも言えぬ、どこか。何、とも言えぬ、何か。
翳、のようなもの。ゆらりと揺らめく、煙か、霞か、ただ、黒い……気がした。
ぞろり、と霞んで、どろり、と消えた。
消えた気配は……、
背後。
何かいる。何か、何が、何かが、……いる。
そろり、と振り向く。
振り向いた……、
そこに、いたモノ……、
……、気付いたのは、陽の昇る少し前。下人の夫婦が起き出す頃。下人の娘が、靜女を見つけた。血の気を失い、真っ青な貌で昏倒する靜女を。
右京、北。右衛門府の厨町。
右京の廃寺で、あの年増女が、二人の式鬼と出逢う、前夜のことである。
瓜清淵の妻、靜女は、眠れぬ夜を過ごしていた。
夫の清淵は不在である。といって、厨町の家は、官衙に勤める夫、清淵の物で、祖父の代からここに住んでいるというから、別に実家があるわけではない。靜女にべた惚れな清淵のこと、他の女の元へ通うことも考えがたいし、事実、過去に一度もないと断言できる。
書類作成の文官官吏と違い、毎朝同じ時間に出仕し、同じ時間に帰るというわけにいかないというのが実情で、衛門府という武官的な仕事柄、交代で割り振られた時間割りでの勤務となるのは、やむを得ないと、靜女も心得てはいる。帰るのは、おそらく明け方になるだろう。
ただ、こんな夜は、傍に付いていて欲しいと思う。傍にいて、抱いていて欲しいと思う。思いはするも、公務の邪魔をしたくもないし、また、このようなことを軽々しく打ち明けるのにも、躊躇いがある。
御霊が参りまする。
生霊が、参りまする。
それも、高貴な御方が、貴方の留守の夜、決まって、私を咒って参ります。
そのようなこと、おいそれと言えるものではない。もし言えば、あの一本気で直情的な夫のこと、思い詰めれば直談判にも行きかねない。そんなことになれば、あの気位の塊のような御方が、どのような挙にでられるか、それを考えると身震いがおさまらない。御霊どころでは、済まぬことは明らかである。
やはり、言えない。
しかし、憔悴する自分を察して、もっと気遣って欲しい。そう、思うこともある。我がまま、なのだろうか。
瓜清淵の妻、靜女は、元は後宮の内侍司に仕える命婦であった。さほどには裕福ともいえない、歴任の少ない受領の家に生まれ、半ば口減らしのように後宮に出された。
彼女の誕生と前後して、母の夫、つまり靜女の父親が、他の女に入れ上げて通わなくなった。祖父の、国守として赴任する先の国が与えられなかったことも、あったのだろう。事実上の離婚である。それでも、祖父が生きているうちはまだ良かったが、祖父が亡くなると経済的に逼迫し、生活が立ちゆかなくなる。家財を売り、土地を売り、財を切り崩すことで、辛うじて生活を保つ。
幸いしたのは、靜女自身の美貌と教養の高さ。それが噂として広まり、後宮任官への道が拓かれた。その功は、母の姉で、早くに家に見切りを付け、好いた男、金も地位もない下級官吏に添い遂げた碧女にある。靜女の母に、裕福な婿を招いて家勢を盛り返そうとするだけの気概など、そもそも、なかったのである。
靜女と瓜が出逢ったのも、その碧女の媒による。瓜の上役であった右衛門府の尉に、通いの飯炊きで仕えていたのだが、すでに都でも評判になりつつあった偉丈夫の瓜に、早いうちに正式の妻を宛がっておこうという使尉の思し召しを受けて、自分の姪を推したのだ。使尉と碧女は、その時には男女の関係にあったので、有無を言う間もなく縁談はまとまり、靜女は清淵の妻になった。
靜女は、年上の妻であった。が、年の差は五つほどである。二十も歳の離れた女に懸想されるとは、よもや瓜も、想いもしないことだろう。おそらくは、未だ、気付いてすらいない。そういう、鈍感なところのある男だった。
「眠れないのかい」
傍らで、衾を掛けて寝ていた碧女が、声を掛ける。事情を知る碧女が、気遣って一夜、泊まりに来てくれた。有り難いことと思う。
朝晩が随分と冷え込むようになったので、格子も蔀戸も何も、全て閉めきっている。灯りを灯さなければ、真っ暗で、すぐ傍で寝ているはずの碧女の姿も、ぼんやりとも見ることができない。
「ええ」
「あまり気に病みすぎても良くないよ」
「そう、ですね」
「御霊といっても、二度ばかり、ちらりと見かけただろう」
「そう、なんですけども……」
その時のことも思い出すと、今なお、背筋がぞっと凍り付き、身体の奥の芯の芯から起こる震えが、止められなくなる。
靜女は、ぎゅっと自分の身体を、力を込めて抱きしめる。この手が、清淵のものであったら……。
八日ほど前のことである。
一戸主の土地を持つ瓜の家は、厨町内では大きな方で、家屋の他に、小さな馬屋、下人小屋、菜園がある。家屋はさほど大きくない。上がり口と煮炊き場を含めた土間、床のある部屋が、廊下で二つ繋がっている。清淵の父母が生きている頃には、奥の間は、隠居部屋だった。手前の部屋に若夫婦が暮らしていた。今、奥の間は、来客用の部屋になっている。手前の部屋の方が、何かと便利なので、結局二人はそこを使っている。
その日もやはり、清淵は夜の当番で不在だった。下人たちは、すでに下人小屋に下がっている。瓜の家は、官位官職の割りには、比較的裕福であると言えたが、通いの使用人を雇えるほどではなかった。下人では、ちょっとした用に頼むにも、要領を得ない。自分で考えたり、判断したりということができないのだから、仕方がない。寂しいから、こちらに残って欲しいと言ったところで、二人共に息苦しいばかりで、少しも気が休まらないだろう。
靜女は、独り寝の寂しさから、なかなか寝付けずにいた。
奥の部屋に。物音を聞いた気がしたのは、はて、何刻頃のことであろうか。始めは聞かぬふりをしていたが、野犬などが入り込んでいるのであれば捨ててはおけぬと、様子を見に行くことにした。
みしり
床敷きの廊下の軋むのに、自分で、びくり、とする。妻戸を開け、灯台をかざして中を覗き見るも、何者の潜んでいる気配はない。ただ、半蔀が開け放されたままになっている。下人の誰かが閉め忘れたのだろう。ここから夜風が入って、蔀戸を揺らし物音を立てていた。
靜女は、ほっと胸を撫で下ろした。いかに気丈なことを言っても、野犬と対峙するなどは、ぞっとしたものではない。
半蔀を降ろそうと、部屋を横切る。見るともなく、開いた蔀戸から、外を眺める。普段と変わらぬ、大きくはないが、四季折々に作物を提供してくれる菜園が、かすかに見渡せる。時間がある時の瓜が、楽しみに手入れをしている。靜女も、下人を使いながら、世話をしていた。それなりに思い入れのある菜園である。
ふ、と何かが動いたような気がした。どこ、とも言えぬ、どこか。何、とも言えぬ、何か。
翳、のようなもの。ゆらりと揺らめく、煙か、霞か、ただ、黒い……気がした。
ぞろり、と霞んで、どろり、と消えた。
消えた気配は……、
背後。
何かいる。何か、何が、何かが、……いる。
そろり、と振り向く。
振り向いた……、
そこに、いたモノ……、
……、気付いたのは、陽の昇る少し前。下人の夫婦が起き出す頃。下人の娘が、靜女を見つけた。血の気を失い、真っ青な貌で昏倒する靜女を。
2009-11-08
少年イクと山吹と、年増女官の朱女 =第三話=
秋晴れの、ある丁丑の日の午後。
伏見、稲荷山。
つい先頃まで、暑いばかりを愚痴ていたのが、いつの間にやら日差しも柔らかく緩まり、朝夕にはめっきり冷え込むのが肌寒いほどで、さる御屋敷では気の早い女房が火鉢の用意を始めているなどと、ちらほら耳にする。きゅっと締まるような寒さが季節を巡らせ、いつかまでは緑陽煌めいていたはずの森山に、ちらり、ほらり、と紅やら黄やら、暮れの季節の色合いを見せ始める。
都を擁する山背盆地の南、巨椋池の東の湖畔。山頂の伏見稲荷大社へ向かう急な参道は、種々雑多な身分職業を表す様々な身なりの人々で賑わう。男も女も、老いも若きも、尊きも賤しきも。祭でもないのに、どこか浮かれ気味なのは、神のご利益のせいだろうか。
山に御座す稲荷の神は、もともと豊穣の神、すなわち稲作の神であったのが、東寺の密教と関わることにより、荼吉尼天と習合され、愛陰の神として信仰を集めようになる。人々は、愛を求めて、山に訪れる。
頂きを目指す坂の一つ、阿小町と呼ばれるのは土地の名か、集落、もしくは、その地その集落を形成する、非血縁の集団の名であったろうか。または、その集団を代表する者の名だとする説もある。
坂の、六合目か七合目か、だいたいその辺り。わずかばかりの平らな土地に、数件の掘っ立て小屋が寄り添い建つ。そのうち、少しばかりの高みに建つ、他よりはほんの少しだけ小ましな小屋の内に対面する、女、二人。
一人は、巫女である。
その前にかしこまって座るのは、庶人の娘などではない。上等な絹織りの、秋めく色合いの袿をまとい、虫垂れの笠を深く被った、見るからに身分のある女。共の者を小屋の前に待たせ、一人、妖しげな、年老いた巫女の前に正対する。愛染の法を修する外法の巫女に、いかなる用があって訪れたものか。
その前の日の夕刻――、深草のある庵に、後宮に仕える高位の女官が忍んで訪れていた。
庵の主は、橘朝臣高臣。老境に至るまでに、数カ国の受領を歴任し、相応の財も溜め込んだが、今は大方を娘に譲って、幽居にて独り、隠遁生活の身の上である。歌を詠み、経を写し、時に知人を招いて囲碁を打つ。
高臣翁には、すでに亡くなった兄がいる。その兄の孫娘というのが、誰あらん、後宮典侍、橘三位と呼ばれる、橘朱女である。
その朱女が、近頃、よく高臣の元を訪れてくる。用があるといって、特別に用向きなどはなく、慰問と称してやって来るのだが、高臣としても、現状の生活に不満や不備があるわけでなく、特別慰めて貰わなければならない理由は思いつかない。隠居暮らしは、一人とはいえ、古くから仕えてくれている下人の夫婦が献身的に良く働いてくれ、身の回りのことに不自由を感じることはないし、近隣には、農家といえども豊かな者の中には、なかなかの風雅を解する者もいて、退屈はしない。
それでも、若くはないとはいえ、それなりに容姿の整った女の来訪を拒む理由もなく、来れば相応の歓待をしているのだが、昼過ぎになると、必ずどこかへ出かけ、二刻ほどは戻らないのには、頸を傾げる。
三位といえば、女官の位階とはいえ、五位の高臣よりもかなりの高位である。当然、帝やお后様方にも近しい。迂闊な詮索をしないだけの分別は、高臣も持ち合わせていた。
今日も今日とて、数人の共をだけを連れて、いそいそと出かけて行った。いったい、どこへ行くものやら……。
そして、稲荷山、阿小町の小屋。
鬱蒼とした森の木々の蔭に、小屋の中は昼なお薄暗く湿っている。せいぜい二間もないような板間の、四方の隅に小さな灯火が揺らき、小さくうずくまるように座る老巫女阿小町の背後の祭壇には、二つの蝋燭の炎を脇に、五鈷杵を置き、愛染明王と荼枳尼天の図像が称えられる。
差し向かう女は、しゃきりと背を伸ばし、巫女に対し正対して座る姿から、裕福な家の娘や妻、彼女らに仕える私的な女房ではなく、公に仕える帝の女官、それも、責任ある立場の者と推察される。言うまでもない、三位女官、典侍――実質的に後宮の実務を取り仕切る、橘三位、朱女である。
けーん
キツネの鳴き声が聞こえる。遠くなのか、近くなのか。あるいは、遠くからも、近くからも。稲荷山には、多くのキツネが棲んでいる。
老巫女が、すく、と立ち上がった。座っている時には、赤子ほどに小さく感じたものが、立ち上がると威風堂々とした武官もかくやというほどに、大きい。朱女は、思わず、のけぞるように身動ぎしてしまう。実際の、老巫女の身丈は、元服あたりの少年のそれと変わらないくらいである。朱女も、それは承知している。もう、ここに通い始めてひと月かふた月か、老巫女に祈祷を請うのも一度や二度ではない。
そこで、年若い巫女が、毎度のごとく鰹の節を持って、入ってくる。ごつごつと黒光りする、固くて太くて長いものを恭しく捧げ持ち、頭を垂れ、老巫女に手渡す。老巫女が大きく頷き受け取ると、若い巫女は、しずしずと退出する。
老巫女は、祭壇の愛染明王と荼枳尼天の図像に礼し、それから、ゆっくりと愛染明王の真言を唱え始める。
……おんまからぎゃばざろしゅにしゃばざらさとばじゃくうんばんこく、おんまからぎゃばざろしゅにしゃばざらさとばじゃくうんばんこく、おんまからぎゃばざろしゅにしゃばざらさとばじゃくうんばんこく……
老巫女が、すっと手を伸ばし、風に乗り風に遊ぶが如く、ゆっくり旋回する。ゆったりとした華麗な足捌き。今にも浮かんで飛んでいきそうな軽やかさでありながら、決して軽薄ではない。そのうち、鰹の節を両手で捧げ持ち、掌全体で包み、さすり撫で、指先で太い部分、細い部分をなぞり、時に圧するように、時にくすぐるように、節を弄ぶ。咒言が佳境に入るのか、老巫女の舞が早く、激しくなる。大きく足を広げると、鰹で股間を叩いて狂気の憑いたが如く踊り狂う。
どれほど続いただろうか。
いつの間にか、老巫女の舞う前に、一枚の符を敷いた、かわらけが置かれている。かわらけには濁り酒が注がれており、符には、一人の男の名が記されている。瓜清淵。右衛門府、検非違使の府生。非違捕り方の若き偉丈夫。
朱女は、その名を持つあの男の身体、貌、あの目付きの純粋さ、身捌きの意外な流麗さを想うと、修法の旋律のせいもあってか、身体が火照り、意識が呆然とし、知らぬ間に、手が、指が、己の淫らな部分をまさぐる。
ああぁ
熱い声を漏らしたのは、朱女か、老巫女か。
老巫女は、水干の胸元をはだけさせ、袴を膝までずらし、局部を顕わにし、そこに、鰹の節を宛がっている。
かわらけに、ぽとり、と、一滴の滴が落ちる。
それを汐に、老巫女は舞を納め、祭壇に向けて、咒言をのみ唱えて、それも、しばらくして、音途切れる。
居住まいを正して二人は向き合う。老巫女は、かわらけを朱女に差し出し、朱女は、それを受け取り、一息に呑み干す。
儀式は、それまでだった。
言葉もなく、朱女は、小屋を出る。
その背中は揚々としたものではなく、どこか倦み憑かれているように想われた。
「ほんま、業の深いこっちゃなぁ」
始まりから終わりまでを、小屋の前でじっと見、聞いていたイクは、深い溜息と共に、言葉を漏らした。
けーん
キツネの鳴き声が聞こえる。
去り際、朱女の表情の、何ともいえぬ憔悴ぶり、戸惑い、迷い、強い心の衝動、狂おしい……、冷静さと、情欲、そういったもののない交ぜになった、狂気一歩手前の危うさを、見て取っていた。
伏見、稲荷山。
つい先頃まで、暑いばかりを愚痴ていたのが、いつの間にやら日差しも柔らかく緩まり、朝夕にはめっきり冷え込むのが肌寒いほどで、さる御屋敷では気の早い女房が火鉢の用意を始めているなどと、ちらほら耳にする。きゅっと締まるような寒さが季節を巡らせ、いつかまでは緑陽煌めいていたはずの森山に、ちらり、ほらり、と紅やら黄やら、暮れの季節の色合いを見せ始める。
都を擁する山背盆地の南、巨椋池の東の湖畔。山頂の伏見稲荷大社へ向かう急な参道は、種々雑多な身分職業を表す様々な身なりの人々で賑わう。男も女も、老いも若きも、尊きも賤しきも。祭でもないのに、どこか浮かれ気味なのは、神のご利益のせいだろうか。
山に御座す稲荷の神は、もともと豊穣の神、すなわち稲作の神であったのが、東寺の密教と関わることにより、荼吉尼天と習合され、愛陰の神として信仰を集めようになる。人々は、愛を求めて、山に訪れる。
頂きを目指す坂の一つ、阿小町と呼ばれるのは土地の名か、集落、もしくは、その地その集落を形成する、非血縁の集団の名であったろうか。または、その集団を代表する者の名だとする説もある。
坂の、六合目か七合目か、だいたいその辺り。わずかばかりの平らな土地に、数件の掘っ立て小屋が寄り添い建つ。そのうち、少しばかりの高みに建つ、他よりはほんの少しだけ小ましな小屋の内に対面する、女、二人。
一人は、巫女である。
その前にかしこまって座るのは、庶人の娘などではない。上等な絹織りの、秋めく色合いの袿をまとい、虫垂れの笠を深く被った、見るからに身分のある女。共の者を小屋の前に待たせ、一人、妖しげな、年老いた巫女の前に正対する。愛染の法を修する外法の巫女に、いかなる用があって訪れたものか。
その前の日の夕刻――、深草のある庵に、後宮に仕える高位の女官が忍んで訪れていた。
庵の主は、橘朝臣高臣。老境に至るまでに、数カ国の受領を歴任し、相応の財も溜め込んだが、今は大方を娘に譲って、幽居にて独り、隠遁生活の身の上である。歌を詠み、経を写し、時に知人を招いて囲碁を打つ。
高臣翁には、すでに亡くなった兄がいる。その兄の孫娘というのが、誰あらん、後宮典侍、橘三位と呼ばれる、橘朱女である。
その朱女が、近頃、よく高臣の元を訪れてくる。用があるといって、特別に用向きなどはなく、慰問と称してやって来るのだが、高臣としても、現状の生活に不満や不備があるわけでなく、特別慰めて貰わなければならない理由は思いつかない。隠居暮らしは、一人とはいえ、古くから仕えてくれている下人の夫婦が献身的に良く働いてくれ、身の回りのことに不自由を感じることはないし、近隣には、農家といえども豊かな者の中には、なかなかの風雅を解する者もいて、退屈はしない。
それでも、若くはないとはいえ、それなりに容姿の整った女の来訪を拒む理由もなく、来れば相応の歓待をしているのだが、昼過ぎになると、必ずどこかへ出かけ、二刻ほどは戻らないのには、頸を傾げる。
三位といえば、女官の位階とはいえ、五位の高臣よりもかなりの高位である。当然、帝やお后様方にも近しい。迂闊な詮索をしないだけの分別は、高臣も持ち合わせていた。
今日も今日とて、数人の共をだけを連れて、いそいそと出かけて行った。いったい、どこへ行くものやら……。
そして、稲荷山、阿小町の小屋。
鬱蒼とした森の木々の蔭に、小屋の中は昼なお薄暗く湿っている。せいぜい二間もないような板間の、四方の隅に小さな灯火が揺らき、小さくうずくまるように座る老巫女阿小町の背後の祭壇には、二つの蝋燭の炎を脇に、五鈷杵を置き、愛染明王と荼枳尼天の図像が称えられる。
差し向かう女は、しゃきりと背を伸ばし、巫女に対し正対して座る姿から、裕福な家の娘や妻、彼女らに仕える私的な女房ではなく、公に仕える帝の女官、それも、責任ある立場の者と推察される。言うまでもない、三位女官、典侍――実質的に後宮の実務を取り仕切る、橘三位、朱女である。
けーん
キツネの鳴き声が聞こえる。遠くなのか、近くなのか。あるいは、遠くからも、近くからも。稲荷山には、多くのキツネが棲んでいる。
老巫女が、すく、と立ち上がった。座っている時には、赤子ほどに小さく感じたものが、立ち上がると威風堂々とした武官もかくやというほどに、大きい。朱女は、思わず、のけぞるように身動ぎしてしまう。実際の、老巫女の身丈は、元服あたりの少年のそれと変わらないくらいである。朱女も、それは承知している。もう、ここに通い始めてひと月かふた月か、老巫女に祈祷を請うのも一度や二度ではない。
そこで、年若い巫女が、毎度のごとく鰹の節を持って、入ってくる。ごつごつと黒光りする、固くて太くて長いものを恭しく捧げ持ち、頭を垂れ、老巫女に手渡す。老巫女が大きく頷き受け取ると、若い巫女は、しずしずと退出する。
老巫女は、祭壇の愛染明王と荼枳尼天の図像に礼し、それから、ゆっくりと愛染明王の真言を唱え始める。
……おんまからぎゃばざろしゅにしゃばざらさとばじゃくうんばんこく、おんまからぎゃばざろしゅにしゃばざらさとばじゃくうんばんこく、おんまからぎゃばざろしゅにしゃばざらさとばじゃくうんばんこく……
老巫女が、すっと手を伸ばし、風に乗り風に遊ぶが如く、ゆっくり旋回する。ゆったりとした華麗な足捌き。今にも浮かんで飛んでいきそうな軽やかさでありながら、決して軽薄ではない。そのうち、鰹の節を両手で捧げ持ち、掌全体で包み、さすり撫で、指先で太い部分、細い部分をなぞり、時に圧するように、時にくすぐるように、節を弄ぶ。咒言が佳境に入るのか、老巫女の舞が早く、激しくなる。大きく足を広げると、鰹で股間を叩いて狂気の憑いたが如く踊り狂う。
どれほど続いただろうか。
いつの間にか、老巫女の舞う前に、一枚の符を敷いた、かわらけが置かれている。かわらけには濁り酒が注がれており、符には、一人の男の名が記されている。瓜清淵。右衛門府、検非違使の府生。非違捕り方の若き偉丈夫。
朱女は、その名を持つあの男の身体、貌、あの目付きの純粋さ、身捌きの意外な流麗さを想うと、修法の旋律のせいもあってか、身体が火照り、意識が呆然とし、知らぬ間に、手が、指が、己の淫らな部分をまさぐる。
ああぁ
熱い声を漏らしたのは、朱女か、老巫女か。
老巫女は、水干の胸元をはだけさせ、袴を膝までずらし、局部を顕わにし、そこに、鰹の節を宛がっている。
かわらけに、ぽとり、と、一滴の滴が落ちる。
それを汐に、老巫女は舞を納め、祭壇に向けて、咒言をのみ唱えて、それも、しばらくして、音途切れる。
居住まいを正して二人は向き合う。老巫女は、かわらけを朱女に差し出し、朱女は、それを受け取り、一息に呑み干す。
儀式は、それまでだった。
言葉もなく、朱女は、小屋を出る。
その背中は揚々としたものではなく、どこか倦み憑かれているように想われた。
「ほんま、業の深いこっちゃなぁ」
始まりから終わりまでを、小屋の前でじっと見、聞いていたイクは、深い溜息と共に、言葉を漏らした。
けーん
キツネの鳴き声が聞こえる。
去り際、朱女の表情の、何ともいえぬ憔悴ぶり、戸惑い、迷い、強い心の衝動、狂おしい……、冷静さと、情欲、そういったもののない交ぜになった、狂気一歩手前の危うさを、見て取っていた。
2009-11-01
少年イクと山吹と、年増女官の朱女 =第二話=
> *
朽ちた荒れ堂に、油の燃える臭いがほのか立つ。芯の焦げる鈍い音。壁が抜けて防ぎようのない風に、燭台の炎が、ちろ、と揺れる。
「あの爺さんも、善人になったり、悪人になったり、そうかと思たら澄ました顔でインチキ占い奏上したり、ご苦労さんなこっちゃなぁ」
なぁ山吹と呼びかける、主なき仏座にちょんと腰掛ける鶏面の童。
「そう言いないな、イク」
山吹と呼ばれた、同じく鶏面の女は、踵にも届く艶やかな黒髪を背にまとめ、それだけ真新しい畳に置かれた脇息に身をもたせかけ、訳知り顔でたしなめる。
少年、イクは、ふんと鼻を鳴らし、面白げもなく、付けていた仮面を外す。それは、雅楽に使う迦楼羅の面。顕わになるのは、小柄な身体に小さな顔つき。ふわりとしていながら、近づきがたい鋭さをあわせ持つ表情は、はて、童のようであり、女童のようでもある。つぶらな瞳は、ほんの少し赤みがかって月明かりを跳ねる。すらっと伸びた鼻梁。張りのあるふっくらとした頬、小さな脣は少し厚めで艶やかに朱い。この者の性がどうあれ、都中の男を、女も含めて、魅了することだろう。
イクは、ぽい、と無造作に面を投げる。
山吹も、同じように迦楼羅の面を外す。はらりと落ちる黒髪に、熟れた女の色香が立ち籠める。とろりと潤んだもの問いたげに扇情的な瞳。細く伸びた鼻梁は控えめだが、ぽてと潤んだ脣は、濡れて艶めき、誘わずとも惹きつける魅力を誇示する。元服前の少年といえども股間を膨らませずにはいられまい。清廉で中性的なイクの可憐さとは正反対の艶美さで、微笑む。
「あの御方にも想うところがあるんやろう。どうせ、なんか、ご大層なこと考えてるんちゃうか」
「陰陽師、安倍晴明か……」
ぽつりとイクがその名を漏らす。
表の顔を、帝にも奏上する天下一の官人陰陽師としながら、時に人臣の権力におもね左府の陰陽師などと揶揄されつつ、しかし、その裏では、悪逆非道で知られる播磨の海賊術師となり瀬戸内、都近辺の治安を脅かし、かと思えば、世に見捨てられた貧者弱者を救済する河原坂の聖師として施し、道理を説き、権力の横柄を糾す。一人でこなすには、随分と極端な三役ではある。まるで都中の全ての実勢を握らんとするかのように。
「あれこそ本物の化物や……」
「まぁ、あの御仁のことは考えてもしゃぁないわ。うちらはしょせん使いっ端や。言われることをこなすしかないわ」
「ふん」
イクは、やや不満げに鼻を鳴らす。
「ほんで、イクはどうするつもりなん」
「どう――て、なんや」
「そやし、どうやって検非違使の嫁さん助けたんの」
山吹が、小首を傾げ尋ねる。
「いや――、この話持って来たんそっちやん、なんか考えくらいあって引き受けたんやろ」
「うちは、知行坊主に言われただけや」
つまり、彼らの親玉、陰陽師安倍晴明の変わり身の一つである。
「おまえなぁ、典侍いぅたら、後宮の要職やで、偉いねんで。そんなん、考えもなしに引き受けてどうするつもりなん」
「うちは、イクやったらなんか考えてくれるやろうと想とったんやけどなぁ」
「あの爺ぃ、最初からそのつもりでおまえに話ししたんやな」
イクは、愛らしい顔を歪めて悪態を吐く。あまりに不釣り合いな、あまりに自然な振る舞いであった。
「まぁ、うちのために頑張ったってぇな」
あくまで呑気なのは、山吹である。年上ぶって話しをふるくせに、要点はイクに丸投げなのは、ずっと以前から変わらない。故郷の深山で、式鬼の見習いとして、しごかれていた頃から。
「俺は年増にも、衆道にも興味はあらへん」
イクはきっぱりと言い切る。が、頭の中では、錯綜する情報、様々な条件や思考の候補が、次々と整理されていく。
「非道いこと言うなぁ、うちは身も心も正真正銘、乙女やで」
「ちんこ付いとるけどな」
「そのうち取るもん」
「……。まぁ、死なんようにしぃや」
これは初めて聞く山吹の告白に、唖然としながらも、イクは、まぁ、それも良いかと思わぬこともなかった。
「さて、どうしたもんかいな……」
イクは、仏座から、ぴょこ、と飛び降りると、床にどかりと腰を下ろし、胡座を掻く。その姿は、あたかも、幼き菩薩の懊悩する姿を想わせるようだった。
イクの脳裏に浮かぶのは、ある情報。信憑性という意味では最低の、ごく一部巷間で囁かれる、無責任極まりない噂話。京の民は、誰も彼も皆、又聞き伝え聞きの噂が大好きで、河原や大路の辻に立つ京童の繰り言を、囃し立てつつ熱心に聞くのが常である。
イクが聴いたのも、そんなたわいない巷説の一つ。聞き流せばそれまでの戯れ事。ただし、イクには式鬼として備わった、特別に鋭敏な嗅覚がある。情報としての価値を嗅ぎ分ける、独特の勘である。
実際にたどってみて判ったことは、どうやら噂の出所は、橘三位の実家に関わりのある人物らしかった。長く勤めながら、些細な失礼で暇を出された壮年の下女がいる。器量は良くないが、気だて良く働き者だと家人たちの評判だったが、どうやら、それだけに随分と根に持ったようである。彼女は、朝廷の下級官吏の妻であり、井戸を共有する近所の妻たちとは、噂話で気脈を通じる仲間だった。かくして、噂は、夫官吏を通じて一部の下級官吏の間に、そして夫人自身が、井戸を介して、貴族の邸に勤める婦人社会に広めていくことになる。
一様に、噂というものには、元の実話にはないヒレ飾りが着くものである。怨恨を端に発するならば、その傾向がより顕著となる。しかし、だからといって全てが空想の産物ということもない。火のない煙の、隠れた火種を見つけ出す。そこに真実の欠片を見いだせれば、手詰まりの突出口とすることも、叶わなくはないかも知れない。
イクは、その機会に、想いを馳せる。
つづく
朽ちた荒れ堂に、油の燃える臭いがほのか立つ。芯の焦げる鈍い音。壁が抜けて防ぎようのない風に、燭台の炎が、ちろ、と揺れる。
「あの爺さんも、善人になったり、悪人になったり、そうかと思たら澄ました顔でインチキ占い奏上したり、ご苦労さんなこっちゃなぁ」
なぁ山吹と呼びかける、主なき仏座にちょんと腰掛ける鶏面の童。
「そう言いないな、イク」
山吹と呼ばれた、同じく鶏面の女は、踵にも届く艶やかな黒髪を背にまとめ、それだけ真新しい畳に置かれた脇息に身をもたせかけ、訳知り顔でたしなめる。
少年、イクは、ふんと鼻を鳴らし、面白げもなく、付けていた仮面を外す。それは、雅楽に使う迦楼羅の面。顕わになるのは、小柄な身体に小さな顔つき。ふわりとしていながら、近づきがたい鋭さをあわせ持つ表情は、はて、童のようであり、女童のようでもある。つぶらな瞳は、ほんの少し赤みがかって月明かりを跳ねる。すらっと伸びた鼻梁。張りのあるふっくらとした頬、小さな脣は少し厚めで艶やかに朱い。この者の性がどうあれ、都中の男を、女も含めて、魅了することだろう。
イクは、ぽい、と無造作に面を投げる。
山吹も、同じように迦楼羅の面を外す。はらりと落ちる黒髪に、熟れた女の色香が立ち籠める。とろりと潤んだもの問いたげに扇情的な瞳。細く伸びた鼻梁は控えめだが、ぽてと潤んだ脣は、濡れて艶めき、誘わずとも惹きつける魅力を誇示する。元服前の少年といえども股間を膨らませずにはいられまい。清廉で中性的なイクの可憐さとは正反対の艶美さで、微笑む。
「あの御方にも想うところがあるんやろう。どうせ、なんか、ご大層なこと考えてるんちゃうか」
「陰陽師、安倍晴明か……」
ぽつりとイクがその名を漏らす。
表の顔を、帝にも奏上する天下一の官人陰陽師としながら、時に人臣の権力におもね左府の陰陽師などと揶揄されつつ、しかし、その裏では、悪逆非道で知られる播磨の海賊術師となり瀬戸内、都近辺の治安を脅かし、かと思えば、世に見捨てられた貧者弱者を救済する河原坂の聖師として施し、道理を説き、権力の横柄を糾す。一人でこなすには、随分と極端な三役ではある。まるで都中の全ての実勢を握らんとするかのように。
「あれこそ本物の化物や……」
「まぁ、あの御仁のことは考えてもしゃぁないわ。うちらはしょせん使いっ端や。言われることをこなすしかないわ」
「ふん」
イクは、やや不満げに鼻を鳴らす。
「ほんで、イクはどうするつもりなん」
「どう――て、なんや」
「そやし、どうやって検非違使の嫁さん助けたんの」
山吹が、小首を傾げ尋ねる。
「いや――、この話持って来たんそっちやん、なんか考えくらいあって引き受けたんやろ」
「うちは、知行坊主に言われただけや」
つまり、彼らの親玉、陰陽師安倍晴明の変わり身の一つである。
「おまえなぁ、典侍いぅたら、後宮の要職やで、偉いねんで。そんなん、考えもなしに引き受けてどうするつもりなん」
「うちは、イクやったらなんか考えてくれるやろうと想とったんやけどなぁ」
「あの爺ぃ、最初からそのつもりでおまえに話ししたんやな」
イクは、愛らしい顔を歪めて悪態を吐く。あまりに不釣り合いな、あまりに自然な振る舞いであった。
「まぁ、うちのために頑張ったってぇな」
あくまで呑気なのは、山吹である。年上ぶって話しをふるくせに、要点はイクに丸投げなのは、ずっと以前から変わらない。故郷の深山で、式鬼の見習いとして、しごかれていた頃から。
「俺は年増にも、衆道にも興味はあらへん」
イクはきっぱりと言い切る。が、頭の中では、錯綜する情報、様々な条件や思考の候補が、次々と整理されていく。
「非道いこと言うなぁ、うちは身も心も正真正銘、乙女やで」
「ちんこ付いとるけどな」
「そのうち取るもん」
「……。まぁ、死なんようにしぃや」
これは初めて聞く山吹の告白に、唖然としながらも、イクは、まぁ、それも良いかと思わぬこともなかった。
「さて、どうしたもんかいな……」
イクは、仏座から、ぴょこ、と飛び降りると、床にどかりと腰を下ろし、胡座を掻く。その姿は、あたかも、幼き菩薩の懊悩する姿を想わせるようだった。
イクの脳裏に浮かぶのは、ある情報。信憑性という意味では最低の、ごく一部巷間で囁かれる、無責任極まりない噂話。京の民は、誰も彼も皆、又聞き伝え聞きの噂が大好きで、河原や大路の辻に立つ京童の繰り言を、囃し立てつつ熱心に聞くのが常である。
イクが聴いたのも、そんなたわいない巷説の一つ。聞き流せばそれまでの戯れ事。ただし、イクには式鬼として備わった、特別に鋭敏な嗅覚がある。情報としての価値を嗅ぎ分ける、独特の勘である。
実際にたどってみて判ったことは、どうやら噂の出所は、橘三位の実家に関わりのある人物らしかった。長く勤めながら、些細な失礼で暇を出された壮年の下女がいる。器量は良くないが、気だて良く働き者だと家人たちの評判だったが、どうやら、それだけに随分と根に持ったようである。彼女は、朝廷の下級官吏の妻であり、井戸を共有する近所の妻たちとは、噂話で気脈を通じる仲間だった。かくして、噂は、夫官吏を通じて一部の下級官吏の間に、そして夫人自身が、井戸を介して、貴族の邸に勤める婦人社会に広めていくことになる。
一様に、噂というものには、元の実話にはないヒレ飾りが着くものである。怨恨を端に発するならば、その傾向がより顕著となる。しかし、だからといって全てが空想の産物ということもない。火のない煙の、隠れた火種を見つけ出す。そこに真実の欠片を見いだせれば、手詰まりの突出口とすることも、叶わなくはないかも知れない。
イクは、その機会に、想いを馳せる。
つづく
2009-10-25
少年イクと山吹と、年増女官の朱女 =第一話=
少年イクと山吹と、年増女官の朱女 =第一話=
北の空より、にわかな黒雲が湧き立つ。
夕暮れ。西山の稜線から、堕ちた陽の名残りの朱が差して、紅朱と湧き立つ雲を照らし、赤く黒く青錆ぶ空を彩る。
そは逢魔が刻。橙の色に染め上げられる道辻、長く伸びた影、しなびた夕明かりに、淡い闇が広がり、じわりじわり、と深さを増す。見えるものは見えず、見えざるモノが見える。
仏堂は、いつ建てられたものか、すでに廃れ、果て、柱のたわみから堂全体が前屈みに傾斜し、屋根の一部が崩落して、痛々しく朽ちかけた梁の交叉がさらされる。
びょうと吹く風。ざわ、ざわわ、と彼方此方、荒れ草の影が無間に揺れる。
元は誰ぞの私邸の隅にでも建てられたものであろうが、今は取り残され、荒れ地にぽつんと、醜な女の痘痕面にできた吹き出物のように、世の人に見向きもされず、寂寥のままに刻の果てるのを待つ。守る者もない、仏像すらとうに盗まれて存在しない、荒れ果てた右京の廃寺に、好き好んで訪れようとする者などあろうべきもない。
と、思われるところに、腰辺りにまで伸びた黒々と厚い草を分け、分け、ぬかるみかけた土を踏み入る人の姿があった。女。やや年増ではあるが見姿の小綺麗な、官人家の下働らしき恥のない所作で、虫垂も付けず面も露わに、力強く歩を進める。着古しであろう袿をきちんと着こなして隙のないのは、可愛げに欠けようが、凜とした表情の思い詰めて潤んだ瞳、引き結んだ脣の薄いながらも赤く濡れた様子など、また異なる色気を醸していた。
荒れ草は、仏堂の縁側のすぐ縁にまで迫っていた。
女は、縁側に上がったものか否か、逡巡する。
「其は、何者よ」
高く澄んだ声音が、夕まぐれの間もなく暮れる鈍色の空に響く。
どこから聞こえたものか。女は辺りを見渡してみるも、何者もいえないことだけを知る。迫る宵闇に語りかけられた気がして、ぞくり、と背筋を冷やす。
「何処を見ておる、我らは此処よ」
頭上から声を聞いたように思えて、見上げる。
知らぬ間に天頂より降り注ぐ月の皓り。蒼く、白く、幽寂な荒れ野を照らす。
朽ちた堂の、破れた屋根の上。
月光を背景に浮かび上がるのは、童ほどの小さな影と、女性らしき細くたおやかな影。
眼に飛び込むその光景の幻妖に、女は、意識を眩ませる。
ぎょろりと睨み付ける大きすぎる眼、脅迫的に突き出た巨大な嘴は面の下半分を占める。頭頂にいきる鶏冠。人身鳥面。御魂荒ぶる神か、はたまた、人の世の化する悪鬼御霊か。
現実を失い、どことも知れぬ幻想、死者と生者の交わる常世にでも迷い込んだかのように、足元も覚束ず、上にいるのか下にいるのか、頭上が下で、足元が上であるかのような、眩惑と現実感がない交ぜになり、膝から崩れそうになりながら、一体、地面に倒れればいいのか、天空に飛び込めばよいのか、理解が届かない。
「女」
呼びかけられたのが自分だと知り、ひっ、という悲鳴を喉の奥で押し殺した。
神隠しという言葉が浮かぶ。人が隠れるなどというは、こうして為されるのか。喰われる……。
「我らは誠、鬼であるが、其方を捕って喰らおうとは思わぬ。少なくとも、今は」
女は這い蹲り、観音の真言を唱える。声は聞こえても、言葉を聞くには至るまい。ただ目を反らし、地に臥し、この世ならざるモノに救いを求める。
「我らは知行なる法師と縁有る者。其方は、知行に命ぜられて此処に参ったのであろう」
知行という名を聞いて、女は、恐る恐る面を上げる。ぎょろりと見下ろす四つの眼。胃の腑から込み上げてくる苦いモノに目頭を熱くする。躰の内が締め付けられ、揺れ震えるのに、胸ばかりが絶え間なく銅鑼を打ち鳴らす。またも、不覚の眩惑に囚われる。
「我らは鬼なる、恐れよ、畏れよ。なれど、其方、願い有らば申し述べるべし。然有らば、聞き届けん。然有らねば、其方、帰るべきは無し。我らが贄と成らん」
旋律を込めた声は、張り上げるでもないのによくよく夜闇に通り、月光を振るわせ、耳朶を打つ。躰の奥の奥、芯の髄を貫き、突き抜ける。痺れ、朦朧としかける意識の中、女のうちに浮かぶのは……、
「あ、ひ、あぅあ……」
言葉を発しようと喉を震わすも、からからに乾いた咽喉はひりりと貼り付いて、思いを息吹に乗せて吐き出すを果たさない。伝えねばならぬ思いはある。叶えねばならぬ望みは、もちろん、ある。そのために、来たのだ。己がためではない、あの娘のため。私だけを頼る、不憫なあの娘のために。今、恐れに挫かれるわけにはいかない。
ごくり、と唾液を呑み込んだ。
「わ、私の願いは……」
「待て、女」
ようやくの思いで絞り出した言葉を遮ったのは、背の高い方の、山吹の袿に濃色の袴を着けた女装の鬼。鬼にも雌雄があるのだろうか。
思わずして吸い込んだ息にむせる。
「着物を全て脱ぐのだ」
「着物を……」
「証だ。嘘隠し事は無いという証。もし、其方の申すことに嘘偽り有らば、我らに喰われても良いと云う覚悟」
覚悟、その言葉が女の胸に響く。息を吸う。そして、吐く。ここまで来れば、自分の思惑など大河の小便、流れのままに、せいぜい我を通してやろう。
袿を脱ぎ、袴を外し、単衣も脱ぎ捨てる。着物を一枚脱ぐたびに、肝が据わっていく。一糸も纏わぬ裸体を晒す時には、怖いモノなど何一つないように思えた。きっ、と強い眼差しを、頭上の二つの影に向ける。
「申し述べよ」
「姪を、姉の娘を助けてやって下さいまし」
「如何なる者か、如何なる事か」
「左衛門府生、検非違使、瓜清淵が妻、靜女」
「憑かれおるのか」
「さようにございます」
「何者に。何故に」
「夫、瓜清淵に懸想した者がございます。それ故に」
「何者にか」
女は、わずかに言い淀んだ。自分などが口にするには、あまりに恐れ多い、あまりに高貴な、その名前。しかし、言わずには済まされぬ。
「後宮に勤めおられる、内侍司典侍、橘三位――、橘朱女様」
沈黙。
風が、ぬひょろ、とぬめるようにそよぐ。
よもや、信じぬのか。
ややあって、
「よかろう、しかと聞き届けた」
あまりに近くでその声を聞き、女は危うく卒倒しそうになる。
どうして、どこから。
傍寄る物音、気配などは何も感じなかった。今は、そこに、すぐ背後に、何者かがいる。その気配を感じる。風が産み落としたか、地から這い出したか。
鬼。……なれば、それもしかりか。またしても根源的な恐怖が湧き起こる。喰われる……。女は地面に額押し付けるほどに、ひれ伏す。
屈めた背中、背骨に添わせて、冷たく柔らかく暖かいモノが触れる。
ひっ。悲鳴が漏れる。
背骨の凹凸をくすぐり、腰にいたって、骨盤の淵をなぞる。それから、剥き出しのふくよかな尻を、産毛に触れるかどうかの微妙さ、繊細さで、形を確かめるように撫で、やがて並ぶ双丘の谷間に細長い指が分け入り、押し閉まった菊門の周りを旋回し、その下方、熟れた花芯の割れ目に、閉じ合わされた襞を、さいなませる。
あ。声が漏れる。
唇がこじ開けられ、陰なる口腔の入り口を刺激しつつなぞる。小さな粒の元を包む包皮を圧迫しつつこねると、女の身体がびくりと跳ねる。
しっとりと、そこが濡れ始める。
もはや熱を帯び妖しく蠢動する膣腔へ。始めは優しく、膣璧を掻きつつ、奥へ奥へと。一度、浅く抜く。挿れる。抜く。挿れる。その間隔が徐々に短くなり、更に奥、更に奥へと、せわしく、時に緩やかに、ぐりゅぐりゅと旋回しつつ、ずぼずぼと直情的に、攻め立てる。
やがて女は、絶叫を放ちつつ、力無く、身を崩す。
意識が遠退く女の耳元で、
「努々他言する事無かれ」
と云う声が遠く聞こえた。
びょびょと吹く風に、ざわわと荒れ野が揺れる。
「なぁ」気を失った女の姿態へ覆い被さる相方に、年少の鬼が問いかける。
「にしても、もうちょっとちゃうやり方があるんちゃうん」
年長の鬼は、女の尻間から指を抜いて、
「えぇやん、放っといて。うちの趣味やねん」
「趣味なぁ」
童子の鬼は、同情を込めて意識なく臥す女を見遣る。
堂の裏から、三、四人の黒尽くめが現れて、女をどこへともなく連れ去った。
つづく
北の空より、にわかな黒雲が湧き立つ。
夕暮れ。西山の稜線から、堕ちた陽の名残りの朱が差して、紅朱と湧き立つ雲を照らし、赤く黒く青錆ぶ空を彩る。
そは逢魔が刻。橙の色に染め上げられる道辻、長く伸びた影、しなびた夕明かりに、淡い闇が広がり、じわりじわり、と深さを増す。見えるものは見えず、見えざるモノが見える。
仏堂は、いつ建てられたものか、すでに廃れ、果て、柱のたわみから堂全体が前屈みに傾斜し、屋根の一部が崩落して、痛々しく朽ちかけた梁の交叉がさらされる。
びょうと吹く風。ざわ、ざわわ、と彼方此方、荒れ草の影が無間に揺れる。
元は誰ぞの私邸の隅にでも建てられたものであろうが、今は取り残され、荒れ地にぽつんと、醜な女の痘痕面にできた吹き出物のように、世の人に見向きもされず、寂寥のままに刻の果てるのを待つ。守る者もない、仏像すらとうに盗まれて存在しない、荒れ果てた右京の廃寺に、好き好んで訪れようとする者などあろうべきもない。
と、思われるところに、腰辺りにまで伸びた黒々と厚い草を分け、分け、ぬかるみかけた土を踏み入る人の姿があった。女。やや年増ではあるが見姿の小綺麗な、官人家の下働らしき恥のない所作で、虫垂も付けず面も露わに、力強く歩を進める。着古しであろう袿をきちんと着こなして隙のないのは、可愛げに欠けようが、凜とした表情の思い詰めて潤んだ瞳、引き結んだ脣の薄いながらも赤く濡れた様子など、また異なる色気を醸していた。
荒れ草は、仏堂の縁側のすぐ縁にまで迫っていた。
女は、縁側に上がったものか否か、逡巡する。
「其は、何者よ」
高く澄んだ声音が、夕まぐれの間もなく暮れる鈍色の空に響く。
どこから聞こえたものか。女は辺りを見渡してみるも、何者もいえないことだけを知る。迫る宵闇に語りかけられた気がして、ぞくり、と背筋を冷やす。
「何処を見ておる、我らは此処よ」
頭上から声を聞いたように思えて、見上げる。
知らぬ間に天頂より降り注ぐ月の皓り。蒼く、白く、幽寂な荒れ野を照らす。
朽ちた堂の、破れた屋根の上。
月光を背景に浮かび上がるのは、童ほどの小さな影と、女性らしき細くたおやかな影。
眼に飛び込むその光景の幻妖に、女は、意識を眩ませる。
ぎょろりと睨み付ける大きすぎる眼、脅迫的に突き出た巨大な嘴は面の下半分を占める。頭頂にいきる鶏冠。人身鳥面。御魂荒ぶる神か、はたまた、人の世の化する悪鬼御霊か。
現実を失い、どことも知れぬ幻想、死者と生者の交わる常世にでも迷い込んだかのように、足元も覚束ず、上にいるのか下にいるのか、頭上が下で、足元が上であるかのような、眩惑と現実感がない交ぜになり、膝から崩れそうになりながら、一体、地面に倒れればいいのか、天空に飛び込めばよいのか、理解が届かない。
「女」
呼びかけられたのが自分だと知り、ひっ、という悲鳴を喉の奥で押し殺した。
神隠しという言葉が浮かぶ。人が隠れるなどというは、こうして為されるのか。喰われる……。
「我らは誠、鬼であるが、其方を捕って喰らおうとは思わぬ。少なくとも、今は」
女は這い蹲り、観音の真言を唱える。声は聞こえても、言葉を聞くには至るまい。ただ目を反らし、地に臥し、この世ならざるモノに救いを求める。
「我らは知行なる法師と縁有る者。其方は、知行に命ぜられて此処に参ったのであろう」
知行という名を聞いて、女は、恐る恐る面を上げる。ぎょろりと見下ろす四つの眼。胃の腑から込み上げてくる苦いモノに目頭を熱くする。躰の内が締め付けられ、揺れ震えるのに、胸ばかりが絶え間なく銅鑼を打ち鳴らす。またも、不覚の眩惑に囚われる。
「我らは鬼なる、恐れよ、畏れよ。なれど、其方、願い有らば申し述べるべし。然有らば、聞き届けん。然有らねば、其方、帰るべきは無し。我らが贄と成らん」
旋律を込めた声は、張り上げるでもないのによくよく夜闇に通り、月光を振るわせ、耳朶を打つ。躰の奥の奥、芯の髄を貫き、突き抜ける。痺れ、朦朧としかける意識の中、女のうちに浮かぶのは……、
「あ、ひ、あぅあ……」
言葉を発しようと喉を震わすも、からからに乾いた咽喉はひりりと貼り付いて、思いを息吹に乗せて吐き出すを果たさない。伝えねばならぬ思いはある。叶えねばならぬ望みは、もちろん、ある。そのために、来たのだ。己がためではない、あの娘のため。私だけを頼る、不憫なあの娘のために。今、恐れに挫かれるわけにはいかない。
ごくり、と唾液を呑み込んだ。
「わ、私の願いは……」
「待て、女」
ようやくの思いで絞り出した言葉を遮ったのは、背の高い方の、山吹の袿に濃色の袴を着けた女装の鬼。鬼にも雌雄があるのだろうか。
思わずして吸い込んだ息にむせる。
「着物を全て脱ぐのだ」
「着物を……」
「証だ。嘘隠し事は無いという証。もし、其方の申すことに嘘偽り有らば、我らに喰われても良いと云う覚悟」
覚悟、その言葉が女の胸に響く。息を吸う。そして、吐く。ここまで来れば、自分の思惑など大河の小便、流れのままに、せいぜい我を通してやろう。
袿を脱ぎ、袴を外し、単衣も脱ぎ捨てる。着物を一枚脱ぐたびに、肝が据わっていく。一糸も纏わぬ裸体を晒す時には、怖いモノなど何一つないように思えた。きっ、と強い眼差しを、頭上の二つの影に向ける。
「申し述べよ」
「姪を、姉の娘を助けてやって下さいまし」
「如何なる者か、如何なる事か」
「左衛門府生、検非違使、瓜清淵が妻、靜女」
「憑かれおるのか」
「さようにございます」
「何者に。何故に」
「夫、瓜清淵に懸想した者がございます。それ故に」
「何者にか」
女は、わずかに言い淀んだ。自分などが口にするには、あまりに恐れ多い、あまりに高貴な、その名前。しかし、言わずには済まされぬ。
「後宮に勤めおられる、内侍司典侍、橘三位――、橘朱女様」
沈黙。
風が、ぬひょろ、とぬめるようにそよぐ。
よもや、信じぬのか。
ややあって、
「よかろう、しかと聞き届けた」
あまりに近くでその声を聞き、女は危うく卒倒しそうになる。
どうして、どこから。
傍寄る物音、気配などは何も感じなかった。今は、そこに、すぐ背後に、何者かがいる。その気配を感じる。風が産み落としたか、地から這い出したか。
鬼。……なれば、それもしかりか。またしても根源的な恐怖が湧き起こる。喰われる……。女は地面に額押し付けるほどに、ひれ伏す。
屈めた背中、背骨に添わせて、冷たく柔らかく暖かいモノが触れる。
ひっ。悲鳴が漏れる。
背骨の凹凸をくすぐり、腰にいたって、骨盤の淵をなぞる。それから、剥き出しのふくよかな尻を、産毛に触れるかどうかの微妙さ、繊細さで、形を確かめるように撫で、やがて並ぶ双丘の谷間に細長い指が分け入り、押し閉まった菊門の周りを旋回し、その下方、熟れた花芯の割れ目に、閉じ合わされた襞を、さいなませる。
あ。声が漏れる。
唇がこじ開けられ、陰なる口腔の入り口を刺激しつつなぞる。小さな粒の元を包む包皮を圧迫しつつこねると、女の身体がびくりと跳ねる。
しっとりと、そこが濡れ始める。
もはや熱を帯び妖しく蠢動する膣腔へ。始めは優しく、膣璧を掻きつつ、奥へ奥へと。一度、浅く抜く。挿れる。抜く。挿れる。その間隔が徐々に短くなり、更に奥、更に奥へと、せわしく、時に緩やかに、ぐりゅぐりゅと旋回しつつ、ずぼずぼと直情的に、攻め立てる。
やがて女は、絶叫を放ちつつ、力無く、身を崩す。
意識が遠退く女の耳元で、
「努々他言する事無かれ」
と云う声が遠く聞こえた。
びょびょと吹く風に、ざわわと荒れ野が揺れる。
「なぁ」気を失った女の姿態へ覆い被さる相方に、年少の鬼が問いかける。
「にしても、もうちょっとちゃうやり方があるんちゃうん」
年長の鬼は、女の尻間から指を抜いて、
「えぇやん、放っといて。うちの趣味やねん」
「趣味なぁ」
童子の鬼は、同情を込めて意識なく臥す女を見遣る。
堂の裏から、三、四人の黒尽くめが現れて、女をどこへともなく連れ去った。
つづく
2009-09-26
少年イクと、いじめられっ子の布真人
タイトル:「少年イクと、いじめられっ子の布真人」
長さ:11枚程度
ジャンル:似非平安時代=永安時代を舞台にした、ファンタジックエンターテイメントの、実験的風景スケッチ。
紹介文:
知人を訪ねて市を訪れた美貌の少年イク。
そこで出逢った内気な少年は、庶民階層から大学で学ぶ秀才だったが……。
長さ:11枚程度
ジャンル:似非平安時代=永安時代を舞台にした、ファンタジックエンターテイメントの、実験的風景スケッチ。
紹介文:
知人を訪ねて市を訪れた美貌の少年イク。
そこで出逢った内気な少年は、庶民階層から大学で学ぶ秀才だったが……。




